週刊読書マラソン

積読消化をめざすささやかな悪あがきの記録

鈴木哲也・高瀬桃子『学術書を書く』

週刊読書マラソン第15号は、鈴木哲也・高瀬桃子『学術書を書く』(京都大学学術出版会、2015年)です。繁忙期にかまけていたら(?)、また1週空いてしまいました。

 

 

本書の構成

序 章 Publish or Perish からPublish and Perish の時代へ
— なぜ,学術書の書き方を身につけるのか

 

第I部 考える — 電子化時代に学術書を書くということ

第1章 知識か「情報」か — 電子化時代の「読者」と知のあり方

第2章 知の越境と身体化 — 学術書の今日的役割と要件

 

第Ⅱ部 書いてみる —魅力的な学術書の執筆技法

第3章 企画と編成 — 読者・テーマ・論述戦略

第4章 可読性を上げるための本文記述と見出しの留意点

第5章 多彩な要素で魅力的に演出する

 

第Ⅲ部 刊行する — サーキュレーションを高める工夫と制作の作法

第6章 タイトルと索引 — 冒頭と末尾に示すメッセージ

第7章 入稿と校正の作法 — 合理的な制作のために

 

おわりに — 学術書を「書く」ことと「読む」こと

京都大学学術出版会より抜粋)

 

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

学位論文を出し終えたのと、先日出版社の方とお話する機会があったので、本棚に積んだままになっていた本書を手に取ってみました。

第I部は主に、学術出版を取り巻く状況が書かれており、本書の一貫した主張である「二回り外、三回り外」の読者に対して学術書を書くことの重要性が述べられていました。個人的に新鮮だったのは、学術書は単に一般の人に分かりやすく砕いて書けばよいというものではないという話でした。あまり一般向けにしてしまうと、かえって想定読者がぼやけてしまうというのは自分にとっては盲点でした。

第II部以降は、具体的なノウハウのエッセンスが紹介されていました。これは今後学術書を書く機会があれば大いに参考にしたいところです。また、地味なようでいて、7章に書かれていた、出版は共同作業であるという話もかなり勉強になりました。たまに再校でどかっと修正してくる方とかいますもんね……他山の石としたいところです。

 

 

 

藤間公太『代替養育の社会学』

週刊読書マラソン第14号は、藤間公太『代替養育の社会学―施設擁護から〈脱家族化〉を問う―』(晃洋書房、2017年)です。また1週空いてしまったので、某手帳よろしく「ほぼ週刊」などと名乗った方がよいかもしれません。

本書の著者とは面識はないものの、ちょっとしたご縁のある方ということもあり、興味深く読ませていただきました。

 

本書の構成

第1部 理論編―子育てをめぐる社会化言説と家庭化言説の併存(子育ての社会化論の問題構制―“支援”と“代替”をめぐって;家庭ロジックの支配性とその生成過程)


第2部 実証編―集団性の機能と退所をめぐる困難(施設養護のフィールド調査―児童自立支援施設Zに着目して;職員の集団性の効果;子どもの集団性の効果;退所をめぐる困難―家族再統合の諸相と自立規範の逆機能)


「住み込んでいること」の強み―小舎夫婦制施設でのインタビューから


結論と今後の課題

紀伊國屋書店より抜粋)

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

読後感としては、問題意識と主張が極めて明快でラディカルな博論本という印象を受けました。家庭で育つ子どもに対する「子どもを社会で育てる」ための「支援」と相反する、社会的養護の家族主義を問い直すという立場に立ちながら、施設養護での丹念な調査を踏まえて、代替養育が家庭養育と連続性をもちつつも、「代替」にとどまらず肩を並べるような〈脱家族化〉のヴィジョンを示しています。これだけの興味深い研究を4年で博士論文にまとめられていることに、頭が下がるばかりです。

施設養護の事例検討においては、職員の集団性と子どもの集団性がそれぞれもつ意義、そして退所をめぐる困難が示されていました。特に興味深かったのは、集団性と個別性が素朴に想定されるような二項対立的なものではなく、集団性が個別性の保障を可能にするという事例でした。これは、集団一斉授業の中で個が表出するという、佐藤学の授業研究でいうところのオーケストレーションみたいなものと通ずるものがあるように思いました。

また、家族の再統合が必ずしも家庭復帰オンリーではないという諸相を示している点も面白いです。こういった支援は現場の知恵的な戦略のなかで「距離化」を図るなどとして行われていることが示されていますが、そうした実践上の戦略から脱家族的なベクトルが導出されるというのはとてもわくわくしました(子どもみたいな感想)。確かにこうした子どもたちにも家庭復帰を促すことが、子どもの最善の利益になるとは限らないですよね。

他方で、最後まで難しいなと思ったのは「代替」の意味合い?でした。施設養護を始めとする代替養育を家族「支援」の延長線上に位置づけることで、家族を「格下げ」するという脱家族化の試みは面白いものの、等価といえるほどまでのオルタナティブになりうるのかを突き詰めて考えると難しいようにも思いました。本書が言うように、代替養育には集団性の強みがあり、家庭に寄せることを別に志向しなくてもよいのではないかという意味では、確かにオルタナティブたりえると思います。もっとも、施設養護に限らず非家族がケア圏・生活圏を担う養育の場が同等の選択肢になるのかと考えれば、そこまではならないだろうとも思ってしまいます。

私は教育でいうところの「多様な教育機会の確保」のイシューと重ねて考えたのですが、学校とは異なる学びの場が学校と同等の選択肢として選ぶことができる未来は、(もちろん質の担保を始めとする数々の論点はありますが)想像がつきます。それに対して、施設養護に限らず非家族がケア圏・生活圏を担う養育の場が同等の選択肢になるというのが、家族から子どもが生まれてくるという仕組みと、子どもの最善の利益を考えることが難しいせいもあるかもしれませんが、なかなかイメージがつきませんでした。また、代替養育のなかでも本書が焦点を当てていない、里親などの家庭的な養育をどのように擁護できるかという問題もあります。

本書が最後に提出しているケアの多元的モデルはとても示唆的で、オルタナティブの「どれか」を択一的に選ぶモデルを取らなくてもよさそうではあります。例えば米国のホームスクーリングでは学校に登校することを認めることもそれなりにあるようです(宮口誠矢さんの研究が詳しいです)。つまり、さまざまなケア主体となりうるアクターが子どもにかかわるという養育のあり方は展望できそうです。ただこの点も、現代の共働きの家族(やひとり親)の場合、短くない時間を保育園に預けるなど家族以外が子育てに関わることも決して珍しくない、とも考えることができます。本書の射程である社会的養護を離れたときに、家庭養育の側が現状でどの程度「家族主義」だといえるのか、「子育ての社会化」と代替養育はどのように結びつくのか/すれ違うのか、このあたりも色々と問いが広がりそうなように感じました。

まとまりがなくなりましたが、本書を読むなかで今まで家族社会学研究は全然目配せしてこなかったことを反省しました。考えてみれば、子どもの養育の問題はまぎれもなく教育なわけですから、(少なくとも教育学から見れば)隣接領域の一つといっても過言ではないようにも思います。本書の野心的な試みに胸を打たれるとともに、今後は家族社会学関係の積読もきちんと読み進めていきたいな……と思わされました。

岡真理『ガザとは何か』

週刊読書マラソン第13号は、岡真理『ガザとは何か―パレスチナを知るための緊急講義―』(大和書房、2023年)です。この週刊読書マラソンは、基本的には私自身の専門や仕事とは関係のない読書をするための一つのきっかけとしてやっているのですが、今回のこの本は、今こそすぐに読まないといけないのではないかと思って手に取りました。

 

 

岡先生の仕事のなかでは、かつてポストコロニアルの勉強を個人的にしていた際に『彼女の「正しい」名前とは何か』を読んだことがありました。本書は、岡先生なりの人文学のあり方を示したものとして、私の目に映りました。

 

本書の構成

■第1部 ガザとは何か

4つの要点/イスラエルによるジェノサイド/繰り返されるガザへの攻撃/イスラエルの情報戦/ガザとは何か/イスラエルはどう建国されたか/シオニズムの誕生/シオニズムは人気がなかった/なぜパレスチナだったのか/パレスチナの分割案/パレスチナを襲った民族浄化「ナクバ」/イスラエル国内での動き/ガザはどれほど人口過密か/ハマースの誕生/オスロ合意からの7年間/民主的選挙で勝利したハマース/抵抗権の行使としての攻撃/「封鎖」とはどういうことか/ガザで起きていること/生きながらの死/帰還の大行進/ガザで増加する自殺/「国際法を適用してくれるだけでいい」

■第2部 ガザ、人間の恥としての

今、目の前で起きている/何度も繰り返されてきた/忘却の集積の果てに/不均衡な攻撃/平和的デモへの攻撃/恥知らずの忘却/巨大な実験場/ガザの動物園/世界は何もしない/言葉とヒューマニティ/「憎しみの連鎖」で語ってはいけない/西岸で起きていること/10月7日の攻撃が意味するもの/明らかになってきた事実/問うべきは「イスラエルとは何か」/シオニズムパレスチナ分割案/イスラエルアパルトヘイト/人道問題ではなく、政治的問題 ■質疑応答 ガザに対して、今私たちができることは?/無関心な人にはどう働きかければいい?/パレスチナ問題をどう学んでいけばいい?/アメリカはなぜイスラエルを支援し続けるのか?/BDS運動とは何?

 

大和書房より抜粋)

 

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

中東問題についてはまったくの素人なので、むしろ新しく学んでいないことを探す方が難しい気もしますが、だいたい以下のようなところが特に印象に残りました。

まず、岡先生がどちらのパートでも繰り返し書いていたように、パレスチナの問題が人道的危機の問題ではなく、イスラエルパレスチナをめぐる政治的な問題であるということでした。外野(では決してなく、イスラエルに加担していることからは逃れられないのですが)の我々からすると、どうしても日々のニュースの中でのガザの惨状ばかりが目についてしまいますが、歴史的経緯から現在起こっている問題を捉えること、例えば根本的な問題としてのイスラエルによるガザ封鎖を批判しなくてはならないことを学びました。

また、ガザの動物園の話は、ガザの中でも豊かな子ども時代をなるべく送らせようとする大人の存在に心を打たれました。他方で、その結末にも心を痛めました。

そして冒頭に述べたことですが、岡先生の人文学者としてのスタンスが窺えました。他者の人間性の否定こそがヒューマニティの喪失なのだ、という立場は、まさに自分に突き刺さるものでした。その意味で、国内のさまざまな差別問題に対して、「私たちが私たちの闘いをしっかり闘うこと」も大切ですし、差別として可視化されていないが、理解が難しいとされる他者について、理解しようとする努力を放棄しようとしないことが人文学的なあり方なのだなと思わされました。

本書を通読してなお、私が理解が難しいなと思ったのは、イスラエルの人々の立場です。イスラエル国際法違反は当然法的に裁かれるべきものですが、このような蛮行に至るまでの歴史的経緯のなかには、祖国が生まれたときから当たり前にあり、ある意味で自らの居場所を問う必然性のない「日本に住む日本人」である自分の想像を絶する部分があるのではないかと考えました。もちろん現代はグローバル社会だとか、地球市民だとか言うこともできますし、祖国がなくともユダヤ教を信じる共同体なのだというアイデンティティもあり得るのかもしれませんが、選択肢があるなかでそれを選び取ることと、その選択肢しか残されていないことの間には大きな違いがあるように思います。

こうした状況や歴史的経緯にもかかわらず、イスラエルを非難する勇気をもつ世界各地のユダヤ人の勇敢さには目を瞠るものがありますし、イスラエルにいる人々が公然とそれを批判することの難しさも無視しづらいように思いました。歴史的な遠因を考えれば、ヨーロッパがきちんと引き受けていかねばならないはずなのですが。

本書中にあった「地獄とは、人々が苦しんでいるところのことではない。人が苦しんでいるのを誰も見ようとしないところのことだ」という言葉を胸に刻みつつ、今後は自分にできるささやかな意見表明をしていきたいと思います。

 

筒井淳也『未婚と少子化』

学位論文提出のためさすがに更新できず、2週間休刊しておりました。気を取り直して週刊読書マラソン第12号は、筒井淳也『未婚と少子化―この国で子どもを産みにくい理由―』(PHP研究所、2023年)です。

 

 

筒井先生はこの分野で有名な方だということは存じ上げていましたが、これまで買ったご著書は本棚に眠ったままになっており、とりあえず最新作から読んでみることにしました(怠惰)

 

本書の構成

はじめに

第1章 少子化の何が問題か

第2章 何が出生率の低下をもたらしたのか

第3章 少子化問題自治

第4章 グローバルな問題としての少子化

第5章 少子化に関わる政策と数字の見方

おわりに

新書マップより抜粋)

 

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

少子化についてまったくの素人なので、勉強になったところは多かったです。少子化対策子育て支援ではない、また晩婚化・未婚化の影響が大きい、あたりは聞いたことがありましたが、出生率上昇でさえも少子化対策としては優先順位が必ずしも高くない、ということは目から鱗でした。また、婚外出生率の高さもあくまで結果論というのも、それはそうだなあという感じでした。

この本の落としどころとして、少子化は複合的な現象であるうえ、その解決がすんなり進んだ国は存在しないことから、安定した雇用の供給や共働きが可能な働き方へのシフトを始めとした総合的な政策が求められる(が、政治家にとっては実績が見えづらくやりづらい)ということが述べられていました。他方で、アプローチも多様であることながら、ちょうど本書が冒頭で述べていたような「どういう国をつくりたいのか」という目標論は、確かに4〜5章でふれられていたのかなとは思いつつ、もう少しそのバリエーションが検討されてもよかったようにも思いました。例えば、イスラエルやフランスのような少子化対策は、それ相応の文脈があることがわかりましたが、日本ではどういうシナリオがありえるのだろう、というのが気になった感じです。

中田達也『最新の第二言語習得研究に基づく 究極の英語学習法』

週刊読書マラソン第11号は、中田達也『最新の第二言語習得研究に基づく 究極の英語学習法』(KADOKAWA、2023年)です。水曜日に間に合わなかった……。

 

 

 

本書の構成

第1章 英語学習の原則
ネイティヴを目標にするな/日本人の英語力は本当に低いのか?/「文法より会話」というウソ/「聞き流し英語」が身につかない理由/コミュニケーション能力のカギ「流暢性」/復習間隔は「4割」で
第2章 単語
語彙学習は「エベレスト」/意味を知っているだけでは不十分?/とにかく単語数を増やせ/laughを「笑う」と覚えるな/「働き者」から覚えよ/英文の9.5割はたった3000語でできている
第3章 定型表現
ネイティブ英語の8割が「定型表現」/定型表現はイディオムだけではない/「コロケーション(結び付きの強い単語)」を意識せよ/Google画像検索で複合語は学べ
第4章 文法
「宣言的知識」と「手続き的知識」/複数の文法事項をランダムに解け/意味ある文脈の中で文法を理解する機会を
第5章 発音
ネイティヴ発音」を目指すべきか?/「音素」に気をつけよ/リズムや強弱を意識せよ
第6章 リーディング
98%の単語を知っていないと英文は読めない/「流暢」なリーディング/合っていない教材は積極的に投げ出せ/1日30分の「Extensive Reading Central」で、1年で100万語読む
第7章 リスニング
英語の聞き取りが難しい理由とは何か?/4技能を一気に学ぶ/「精聴」と「多聴」で使い分けよ
第8章 ライティング
コピペ(英借文)で英文を書く/適切な表現は「検索」できる/英語の「言い換え図鑑」を使え/10分で書け!/AIに添削してもらう
第9章 スピーキング
英語で要約して話せ/4コママンガを説明せよ/2分間で言いたいことを言う/「4-3-2」スピーキング

KADOKAWAより)

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

タイトルはやや煽りっぽいですが、中身は本当にまっとうな英語学習法本でした。第1章の「英語学習の原則」などは、特に一般の方たちにも得るものが多そうです。個人的には第2章の英単語学習のところが学びになりました。ついつい意味重視学習を頑張りたくなるところなのですが、意外と言語重視学習も侮れないようで、Ankiを久々にやった方がいいなと思わされました(口だけ)

ライティング・スピーキングに関しては、今日ではAIの力を借りられるところも多くなっていていいですね。しかもこれも日進月歩なんでしょうし。

 

小野寺拓也・田野大輔『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』

週刊読書マラソン第10号は、小野寺拓也・田野大輔『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(岩波書店、2023年)です。岩波ブックレットなのですが、2月は忙しい日々が続くので、しばらくライトな読み物が続きます。そしてやっぱり月曜更新にはできませんでした(白目) でも無事に10号までは来られましたね。

 

 

 

本書の構成

はじめに
第一章 ナチズムとは?
第二章 ヒトラーはいかにして権力を握ったのか?
第三章 ドイツ人は熱狂的にナチ体制を支持していたのか?
第四章 経済回復はナチスのおかげ?
第五章 ナチスは労働者の味方だったのか?
第六章 手厚い家族支援?
第七章 先進的な環境保護政策?
第八章 健康帝国ナチス
おわりに
ブックガイド

岩波書店より)

 

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

私自身は「ナチスがしたことにだっていいことはあったんだろう」とまでは思っていなかったのですが、実際に本書を読んでみると、民族共同体と戦争のため(そしてその手段としての世論の支持獲得のため)だったら徹底してなんでもやるところに、予想を遥かに上回るおぞましさを感じました。しかもそれがそれなりに多くの人々を(ある意味では現在までも)魅了するものであるというのが二重に恐ろしいところです。

著者らは〈事実〉だけでなく〈解釈〉も吟味・検討するのが歴史学であるという立場に立っていますが、そういう意味では保守派定番の「江戸時代の日本は素晴らしかった!」みたいなやつもやっぱり同根だなあと思いますし、歴史教育などで行われがちな「昔の人になったつもりで想像してみよう」みたいなのもあんまり筋がよろしくないなと改めて思いました。

だいたい前半の4章まで読み終えると、ナチの思考パターン(および本書の議論のパターン)がだんだん読めてくるようになり、5章から先は「やっぱり……」という答え合わせになっていく感覚がありましたが、それがまさに冒頭で書いた、目的のためだったら政策を徹底して行うナチの特色なのでしょう。

そういう意味で本書はライトで読みやすかったのですが、個人的に特に興味深いと思った点が4点ありました。1つ目は、3章にあるようにナチの支持が必ずしも純粋に感情的・熱狂的なものだったわけではなく、経済的な利益と結びついていたことです。これは広田照幸の『陸軍将校の教育社会史』を彷彿とさせました。

2つ目は、6章にあるように手厚い家族支援やえげつない政策を取ったところで、国家がプライベートの極北である生殖に干渉するのはやはり極めて難しいことなんだなということでした。

3つ目は、7章の環境政策のところで、そもそもナチにおいて自然保護政策が民族共同体と結びついた、どっちかというと右寄りの政策であった(しかもその構図は戦後しばらく続いた)ことも面白かったですし、自然保護政策と戦争遂行政策の行政上の綱引きの結果、保護された森があったことは、皮肉にもめちゃくちゃ政治的で人間臭いなと思わされました。

最後は、8章の健康政策について、保守派の人々だけでなく反対の立場の人たちからもナチの政策になぞらえて昨今の状況を「禁煙ファシズム」と揶揄されることがあるが、それはナチのファシズムの背後にあったものを軽視してしまうからよくないという筆者の主張が印象に残りました。例えば昨今「ハラスメント」も色々なものが言われるようになりましたが、権力勾配の存在など、その概念を用いることの意義をよく考えず、「人権侵害」で済むところまですべて「ハラスメント」と言ってしまうと、ハラスメント概念が希釈されてしまい、その有用性を失う危険があるな、などと考えました。

ナチの異常性はよくよくわかったのですが、現在でも〈解釈〉が吟味されずに〈事実〉が流布されることを考えると、ナチそのものを糾弾するだけでは不十分であり、どのようにすれば民衆の側がファシズムや戦争にノーと言えるのかを検討せねばならず、そしてそれは「おわりに」で書かれているように、なかなか根深い問題であるように思います。

田中洋子編著『エッセンシャルワーカー』(4)

週刊読書マラソン第9号は引き続き、田中洋子編著『エッセンシャルワーカー―社会に不可欠な仕事なのに、なぜ安く使われるのか』(旬報社、2023年)です。なんとか読了することができました。しばらく忙しい日が続くので、来週はライトなものを読みつつ、更新ペースを取り戻していけたらと思います。

 

 

本書の構成(のうち今回読んだところを抜粋)

●第Ⅳ部
運送、建設工事、アニメーション制作のリアル
仕事を請け負う個人事業主の条件悪化

第1章 トラックドライバー 首藤若菜
第2章 建設業従事者 柴田徹平
第3章 アニメーター 松永伸太朗、永田大輔

●第Ⅴ部   
働き方はなぜ悪化したのか
そのメカニズムと改革の展望

第1章  「女・子ども」を安く働かせる時代を終わらせる  田中洋子
第2章  公共サービスの専門職を非正規にしない  田中洋子
第3章  市場強者による現場へのしわよせを止める 田中洋子

結語 田中洋子

旬報社より)

 

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

第IV部は、主に個人事業主の条件悪化を論じていました。極めて不勉強なことに、トラックドライバーや建設業従事者というのは、かなりの重労働であるかわりに、必ずしも大卒資格を要さず、比較的高収入を得られる仕事であるという風に認識していたので、その認識を改めさせられました。他方で、第V部第3章で示されているように、それぞれの業界の中から改革の動きが広まっていることは、希望を感じさせました。

第IV部のうち、アニメーターもなかなか興味深かったです。例えば、ミュージシャンや俳優、お笑い芸人など、輝かしいエンターテイメントの仕事というのは、「ウィナーテイクスオール」のイメージだったのですが、確かに考えてみればアニメーション制作というのはチームでの仕事に他ならないわけで、そういうモデルがあてはまらないというのは目から鱗でした。また、現在のように3ヶ月ごとにアニメが入れ替わるという慣行も歴史的にはそれほど長くなく、収益性との兼ね合いから生まれたものであり、それがクリエイターたちのネットワークを形成する阻害要因になっていること、原画のプロセスが分かれることによる弊害といったものも新たな学びでした。

全然関係ないのですが、私はアニメの『SHIROBAKO』が好きだったので、確かに安原絵麻の暮らし向きはよくなさそうだったな……などと、フィクションとごちゃまぜにしながら読んでいました。章末では、制作進行の仕事がアニメーターのネットワークに果たす役割を解明することが今後の課題とされていましたが、SHIROBAKOの主人公が宮森なのも偶然じゃないんだななどと思いました。

 

第V部は基本的に総括プラスアルファとして、現在の改革の機運や今後の展望が描かれていました。私が最も印象に残ったのは、やはり第1章で総括されていた第I部だったように思います。つまり、元々非正規雇用というのは、家族賃金体制での扶養の範囲内での賃金+補助的な業務という2つの前提であったものが、家計の主たる担い手になってしまったり、アルバイトにさせるべきとは思えない基幹業務を負わされてしまったりと、歴史的に用いられてきたロジックはもはや崩壊しているのですが、にもかかわらずそこに対して「転勤の可能性がないから」というロジックをかぶせることで非正規雇用を正当化しているというインチキがまかり通っているわけです。IKEAやイオンの改革例が挙げられていましたが、このインチキに関しては、本書が射程としていたエッセンシャルワーカーだけでなく、多くのホワイトワーカーにもしばしば用いられているようにも思えます。本書が広く読まれるなかで、労働に対する公正な待遇のあり方について、もっと声があがることを望みます。