週刊読書マラソン

積読消化をめざすささやかな悪あがきの記録

朱喜哲『バラバラな世界で共に生きる』

週刊読書マラソン第44号は、朱喜哲『バラバラな世界で共に生きる―リチャード・ローティの哲学』(NHK出版、2026年)です。意外と普段あまり哲学の本を読むことはないので、なかなか貴重な読書体験でした。

 

 

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

元々がNHKの『100分de名著』のテキストだったようで、かなり噛み砕かれて読みやすかったです。私はどちらかというとケア方面の話に親しんでいる一方で、あまり正義論寄りの議論にはふれてこなかったので、その辺は素直に勉強になりました。第2章で取り上げられていたローティの言う公私の区別―バザールとクラブの議論などは、むしろバザールでの対話や共生を放棄しないための考え方として大いに示唆があったように思います(他方で、フェミニズムがまさに批判する公私二元論だなともやはり思うので、難しいところですが)。 

個人的に一番印象に残ったのは第4章でした。『ロリータ』を事例に、被害者の気持ちに共感するだけではなくて、自分たちが加害者にもなりうることに目を向けるところがとても興味深かったです(余談ですが、朝ドラの主題歌を担当したデュオのハンバート・ハンバートが『ロリータ』の主人公から取られたものだということを、この本を読んで初めて知りました)。また、マイノリティにとってアイデンティティ・ポリティクスの必然性はありつつも、いかにしてそれを「会話」を止めてしまう議論にしてしまわないかが求められるという話は、確かにそうだなあと思わされました。

最後の6章で論じられていたリベラリズムの権威主義批判も、今日的な課題として引き取れる部分が多くて面白かったです。同じ著者の『〈公正フェアネス〉を乗りこなす』も積ん読になってしまっているので、近いうちに読みたいなと思いました。 

速水健朗『機械ぎらい』

週刊読書マラソン第43号は速水健朗『機械ぎらい―機械音痴のテクノロジー史』(集英社、2026年)です。もともと若い頃からパソコンやインターネットに慣れ親しんできたつもりの自分でも、この頃セルフレジなどの挙動に惑わされることが増えてきたので、この話題になんとなく興味を持ち始めました。

 

 

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

どの章も興味深い議論が多く、最終的にデイビッド・グレーバーの官僚制の議論につながっていくところも面白いなと思いました。 そんな中でも個人的に特に印象に残ったのは、第1章の情弱だと思われたくない私たちの話や、第2章の予約型社会の到来の話でした。 特に予約型社会の到来については、最近ディズニーランドにいきなり来て楽しむのが難しいと言われるようになったことや、大阪・関西万博の予約の争奪戦に家族が参加しているのを横目で見ていたので、個人的にもリアリティを持って読めました。

あとはまさにタイトルに描かれているような機械嫌いの歴史の話が、自分には想像もつかなかったようなことが多く、読んでいて楽しかったです。例えば今では当然のように使われていて、およそ使えない人が想定されないエレベーターも、登場した当初は恐ろしいものとしてまなざされていたという話は面白かったです。 あとは押しボタンが増殖した話や、スティーブジョブズがボタン嫌いであったことも単純に笑ってしまいましたし、冷蔵庫が出たばかりの当時の機械嫌いの人たちが冷蔵庫の冷気を嫌い、恐怖した気持ちというのは、およそ21世紀に生きている私たちからは想像のつかない恐怖感でした。

ただ、そうした未知のテクノロジーに対する恐怖感を今日の私たちに置き換えてみると 、AIの作り出す特有の癖のあるデザインや文章に気味悪さを感じ、人間らしさやバリエーションの喪失を嘆いているところともしかしたら重なるところがあるのかもしれないななどと思いました。 

正直なところ、この本の6章構成が綺麗に一本の筋になっているという印象は受けなかったのですが、それでも個々の章の議論はどれもキャッチーであり、読んでいて飽きない本でした。 

佐藤翔『教養としての査読』

週刊読書マラソン第42号は、佐藤翔『教養としての査読―なぜ「論文」を信用できるのか』(中央経済社、2026年)です。仕事柄査読とは無縁ではいられないものの、分野によっても慣習が大きく異なる査読について気になって読みました。

 

 

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

個人的には、査読の信頼性とオープンアクセスをめぐる問題(とりわけAPCの高騰と即時オープンアクセス化)に関心がありました。なので、4章の査読のなかのバイアスと、6章のAPC高騰と即時オープンアクセス化の議論は特に興味深く読みました。不勉強極まりないのですが、APCと購読料の相殺システムはこれまで知らず、調べてみると勤務校にも制度としてあるようなので今後利用しようと思いました。即時オープンアクセスについては、まだまだどう展開するか雲行きが読めないところだと感じました。

事前の問題意識とは異なるのですが、3章の査読者が見つからない問題と5章のハゲタカジャーナルは、純粋にそういう世界があるのだなと勉強になりました。前者については私のキャリアだとまだまだ査読者をすることも探す側になることも先なので知らなかったです。後者は、分野的に馴染みが全然ないので恐ろしい世界だ……と他人事ながら感じました。看板を頻繁に付け替えるぼったくり居酒屋を彷彿とさせられました。

最後の7章のオープン査読は、よその分野ですが社会学の『ソシオロゴス』などは少し近いかもしれないですね。また、査読付きプレプリントなどは画期的な試みだなとは思いつつ、大学の採用・昇任人事において査読論文が影響力をもたなくなっているわけでもないので、自分の分野だとまだまだ気が遠くなる話のような気がしています。

ティファンヌ・リヴィエール『博論日記』

だいぶご無沙汰してしまいました。本は趣味のものもそうでないものも読んでいるのですが、専門にあまりにも近いものは身バレしそうだったり、逆に趣味の読書は気にいったものであればあるほどとりとめもないものが溢れ出しそうだったりして、筆が進みませんでした。あまりきちんと書くことを意識しすぎずに続けていきたいところです。

さて、そんな久々の週刊読書マラソン第41号は、ティファンヌ・リヴィエール『博論日記』(花伝社、2020年)です。漫画をこのブログで取り上げるのはたぶん初めてだと思います。

 

 

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

博士論文は誰しも苦労するもので、人文社会科学系だととても3年で書くのは難しいよね……というのは日本と重なるところがあったのですが、それはそれとして日本とは異なる厳しさも色々と垣間見えて、面白いというよりかはなかなか胸が苦しくなる本でした。

個人的にもっとも強く印象に残ったのは、フランスにおいて大学教員になることが非常に狭き門である一方で、一度なってしまうと非常に特権的な職業であるというところでした。もちろんコミカルかつシニカルに描いているところもあると思うのですが、講義のために週1回(!)出校した教員を捕まえない限りは面談もおぼつかないし、原稿をメールしても全然読んでくれない(しかもメールの文体にはやたらうるさい)し、ろくな指導はしてくれない、そのくせ最後の口頭試問のときには大きな壁となって立ちはだかるという、現代の日本だったら指導放棄型のアカハラと言われかねないような所業の嵐でした。こんな大学院だったら、私は絶対に学位を取れなかった自信がありますが、逆にいうと指導教員を奮起させるような研究でないとちゃんと指導してもらえないということ自体が大きな試練なのかもしれません。

あとはアラサー/ミドサーになって周りの友人や親戚のライフステージが変わっていくのについていけなくなること、そして何より最後のシーンで晴れて学位を取得することになっても、主人公の目にはもはや光がなかったことも心に残りました。ただ、訳者解説によると、博士課程を中退してもフランスは生きていくのにそこまで苦労はしないそうで(実際原著者も博士課程を中退して漫画家になっています)、そのあたりは日本とまた空気感が違うのかもしれません。

こういう漫画のことをフランスでは、バンド・デシネというそうで、それも初耳でした。

 

えーじ・倉林雅・小岩井航介『パスキーのすべて』

1月末に駆け込みで、明けましておめでとうございます(?)。週刊読書マラソン第40号は、えーじ・倉林雅・小岩井航介『パスキーのすべて』(技術評論社、2025年)です。技術書は初めてですね。

 

 

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

最近のWebサービスでは二要素認証が一般化してきましたし、特に昨年は証券口座の乗っ取りが話題になりました。ここ数年で見かけるようになったパスキーが身近になってきたものの、そもそもどういう技術なのかがなんとなくしかわかっていなかったので知りたいと思い、本書を手に取りました。

UX設計や実装は専門ではないので後半は斜め読みになってしまいましたが、序盤での他の認証と比べたときの優位性の解説が腑に落ちました。セキュリティと利便性の釣り合う仕組みを作る技術者の皆さんの努力に頭が下がりました。

最近では私もパスキーを使うWebサービスが増えましたが、パスワードよりも手軽でセキュアなのはいいなと思います。対応サービスがもっと増えるといいですね。

キャサリン・ロッテンバーグ『ネオリベラル・フェミニズムの誕生』

週刊読書マラソン第39号は、キャサリン・ロッテンバーグ『ネオリベラル・フェミニズムの誕生』(人文書院、2025年)です。今年出た本なのに、4月期ドラマの『対岸の家事』が訳者解題に出てくるのでびっくりしました。

 

 

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

本書は2010年代の米国で隆盛する、いわゆる「バリキャリ」女性が私的領域を諦めずに「すべてを持つ」ことを志向するタイプのフェミニズムを題材に、それをネオリベラル・フェミニズムとして捉え、そのメカニズムを明らかにしています。日本でもSNSでワーママと専業主婦が激しく対立しているのを目にすることは日常茶飯事であり、(その対立そのものが意義のあることかは置いておいて)テーマとしては馴染み深いものといえます。

個人的に興味深かった章は2つあり、ひとつは『リーン・イン』を例にネオリベラル・フェミニズムのロジックのすり替えを詳らかにする2章でした。社会を批判する回路を退け、自己批判に持って行く手口はまさしくネオリベラルといえるものですが、他方でそれは再帰的な社会の中で「よりよく」生きるあり方とすごく相性がいいことに合点がいきました。

もうひとつは、専門職女性によって書かれたマミー・ブログを分析対象とした4章でした。肯定的な情動を動員する自己のテクノロジーも確かになあと思わされましたが、特権階級の女性たちが自分たちの特権を認めつつ、しかしそれにもかかわらず構造的な差別や不平等を不可視化するレトリックが特に具体的で興味深いものでした。

6章で筆者自身が書いているように、本書は特にこれといった明瞭な結論が導かれるタイプの本ではありません。ただ、本書がネオリベラル・フェミニズムを「こんなものはフェミニズムではない」と排除するのではなく、それが「フェミニズム」を掲げていることを重視し、むしろ正面からネオリベラル・フェミニズムとして定位したうえで、その論理を明らかにしたうえで批判するというのはいたって誠実なように思いました。トランプ旋風に対する応答などもそうですが、実際に起こっているムーブメントを「反知性主義」や「ポピュリズム」として退けるのは単なる逃避でしかなく、本書のようにむしろこれだけネオリベラリズムは浸透しやすい強敵なのだということを直視しなければ話が始まらないのだと切に感じます。

駆け込みで大晦日の夜の投稿になってしまいましたが、今年もなんとかある程度定期的に更新することができました。タイトルを「月刊」にしようか迷うところですが、1ヶ月に2回更新したくなることもあるかもしれないので、もうしばらくはこのままでいきたいと思います。それでは皆さま良いお年を。

箕面在弘『自分のあたりまえを切り崩す文化人類学入門』

週刊読書マラソン第38号は、箕面在弘『自分のあたりまえを切り崩す文化人類学入門』(大和書房、2024年)です。本書は大和書房と早稲田大学のコラボによる「未来のわたしにタネをまこう」というシリーズの1冊です。私は同じシリーズでは以前に仲道祐樹『刑法的思考のすすめ』を読んだことがあり、2冊目になります。

 

 

 

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

この大和書房と早稲田大学のコラボは初学者(大学生のみならず高校生くらいも想定されているように見えます)を対象としているのですが、入門にしては結構エッジが効いているイメージがあり、読み応えがあって面白いです。本書も例外ではありません。

どの章も面白かったですが、個人的に興味深かったのは、3章の贈与と負い目と、4章の汚穢と禁忌、6章の宗教と宗教心、7章の呪術と科学、8章の民族とエスニシティあたりでした。3章は贈与に伴う負い目を回避するさまざまな慣習が面白いですし、6章〜8章あたりは純粋に勉強になることが多かったです。特に8章の民族とエスニシティの話は、自分の専門とも重なるところがあり、これまでの不勉強を恥じるレベルです。

あと最後の9章での「あたりまえを切り崩す」主体が本人ではなく文化人類学の側にあるという話もうなずけました。何かと「あたりまえを疑う」ことがもてはやされがちですが、我田引水に自分の主張を通すために学問をするのではなく、対象世界と徹底して向き合うなかで受動的に自分のあたりまえが切り崩されることこそが重要なのだということは、他の学問についてもいえそうな気がします。