週刊読書マラソン

積読消化をめざすささやかな悪あがきの記録

今井むつみ『英語独習法』

週刊読書マラソン第21号は、今井むつみ『英語独習法』(岩波書店、2020年)です。

以前気になって軽く手に取った覚えはあるのですが、きちんと読んだことがなかったのと、ふとしたきっかけで最近また英語学習への熱が再燃してきていることもあって読んでみました。

 

 

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

完全にネタバレになってしまいますが、英語の力をつけるとは、英語のスキーマを身につけるということなのだ、という極めてシンプルな主張が本書の核心にあります。本書は、それを身につける簡単な方法を伝授してくれるというものではなく、最新のオンラインツールなどの助けを借りながら、一つ一つ習得していく方法を教えてくれている本といえます。

本書が書かれた2020年と状況が大きく変わっている点があるとすれば、やはり生成AIの登場でしょう。生成AIも大量の英語のデータを学んでいるという点では(玉石混交とはいえ)コーパスの一種として捉えることができます。ネイティブの人がいないと教えてもらえないニュアンスを、生成AIから学ぶということもかなり現実味を帯びてきているようにも思います。

青田麻未『「ふつうの暮らし」を美学する』

お盆ですね。週刊読書マラソン第20号は、青田麻未『「ふつうの暮らし」を美学する―家から考える「日常美学」入門―』(光文社、2024年)です。

 

 

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

そもそも美学が哲学の仲間であることも知らなかったので、各章で示される個々の知見や論点はどれも興味深かったですが、個人的に一番面白く感じたのはたぶん、美学という学問の議論の仕方、考え方みたいなものだったように思います。そういうところが論点になるのだなとか、先人の議論をそういう風に批判するのだなとか、そういった自分が慣れ親しんでいるものとは異なるディシプリンの新鮮さ(でも共通点も多くあったと思います)が印象に残りました。

あと具体例が多く取り上げられていたのも読みやすかったです。特に挙げられている漫画やドラマなどの中には、私も見たことがあるものもいくつかあったのですが、それでも例えば「いちばんすきな花」などは自分はぼーっと見ていたので、著者が本書の中でしていた意味付けなどはまったく思いつきませんでした。

4章の地元の散歩の話を読んでいて勝手に思ったのは、「聖地巡礼」ってどう意味づけられるんだろうということでした。もちろん全く行ったことがない土地に「聖地巡礼」することもあると思うのですが、例えば同じ生方美久の「silent」の聖地巡礼で賑わった世田谷界隈なんかは、(下北沢などを除けば)東京暮らしの人からすればそれほどわかりやすく新奇性にあふれた場でもない気もします。それでも、ドラマで見たあの景色だ!と思って世田谷に来るのは、地元とは違うけどドラマを見ているからこその「親しみ」や、凡庸な景色をドラマの風景と重ね合わせる「新奇さ」など、また特有の美的経験がありそうだな、みたいな適当なことを思いました。

あとは、具体例が多かっただけでなく、5章から終章にかけての美学の「実践」との距離も面白かったです。個人の実践に世界を少しずつずらしていく可能性を見出すところは、社会科学とも重なるところは小さくなさそうです。

渡辺貴裕『授業づくりの考え方』

学位取得やら、ピンチヒッターのお仕事やら、学位記授与やら、コロナ感染やら……と挙げたらキリのない怒涛の日々で月刊になっておりました。週刊読書マラソン第19号は、渡辺貴裕『小学校の模擬授業とリフレクションで学ぶ 授業づくりの考え方』(くろしお出版、2019年)です。

 

 

今回からは、更新のハードルを下げに下げるため、「本書の構成」を割愛したいと思います。

 

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

一番最後に「ポイント一覧」があり、それももちろん役に立つのですが、個人的にはそうしたポイントそのもの以上に、「どうやって模擬授業によってリフレクションを行うのか」が具体的なイメージとして立ち上がっているのが本書のかけがえのない魅力だと感じました。最後の付録セッションとか、学生さんが実際にリフレクションを体験してみるのにとても良さそう。

また、合間合間のミニレクチャーも、模擬授業やリフレクションにあたって気をつけたいポイントがコンパクトに示されていて示唆があります。こちらは教師教育者にとって勉強になるところばかりで、授業研究や教育方法論系の授業にいつかぜひ活かしてみたいなと思いました。

 

高橋則夫『刑の重さは何で決まるのか』

なんとか隔週刊にしようとしている週刊読書マラソン第18号は、高橋則夫『刑の重さは何で決まるのか』(筑摩書房、2024年)です。

学部1年のとき、著者の刑法総論を取っていたので、軽妙な語り口に懐かしさを覚えながら読みました。

 

 

本書の構成

第1章 刑法学の世界(なぜルールが存在するのか
刑罰は何を目的としているのか
量刑に至る「長く曲がりくねった道」)
第2章 犯罪論の世界(犯罪とはどのような行為なのか
犯罪の成立はどのように判断するのか
犯罪の要件を吟味する
「わざと」と「うっかり」
犯罪が未完成のとき
犯罪に複数の者が関与するとき
犯罪が犯罪ではなくなるとき
犯罪の数の数え方)
第3章 処遇論の世界(刑法が前提にしている人間像
犯罪者の処遇を考える)
第4章 量刑論の世界(刑をどの程度に科すのかという問題
量刑は具体的にどのように判断するのか)
第5章 刑法学の新しい世界(「犯罪と刑罰」の新しい考え方
「責任」の新しい考え方 刑法学も変わっていく)

筑摩書房より)

 

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

全体としては、刑法学や刑法総論の入門書のような構成になっています(とりわけ2章のボリュームが大きいのもそういう印象に影響を与えているかもしれません)。私としては懐かしいな、そんなことを習ったなと思いながら楽しく読みました。

個人的に興味深く読んだのは、3章の処遇論と、5章の修復的司法や応答責任論でした。処遇論のなかでも拘禁刑創設の意義などは、今日的な話題でありながらもあまりきちんと知らなかったので、勉強になりました。

5章の修復的司法は、具体的存在としての被害者を想定した、加害者への損害回復の視点に唸らされました。応報論としての刑罰は、貫徹するとあまり生産的でないなあとかねてよりぼんやり思っていましたが、修復的司法はそこに少しずつ風穴をあけるものになりそうです。興味深いと思っただけに、正直ボリュームとしては物足りなさを感じたのですが、著者が別途修復的司法を論じた本を書いているようだったので、また手を伸ばそうと思います。応答責任論も、社会学などに馴染みのある身からすれば、うなずける問題提起だったのですが、筆者が他の学問分野から刑法学を逆照射しようと試みているところに敬服しました。

全体的に具体例が多く、わかりやすい新書なので、法学に興味のある高校生でも楽しく読めるのではないでしょうか。

 

岡野八代『ケアの倫理』

週刊読書マラソン第17号は、岡野八代『ケアの倫理―フェミニズムの政治思想』(岩波書店、2024年)です。明らかに週刊ではなくなってきましたが、月刊よりは更新頻度が高いので、まだ粘りたいと思います。

ケア倫理はちょうど一度きちんと勉強したいと思っていたので、この新書はまさに待ってましたという感じでした。新書ではありながら、かなり丁寧に書かれた重厚な著作です。

 

 

本書の構成

序 章 ケアの必要に溢れる社会で

 

第1章 ケアの倫理の原点へ
 1 第二波フェミニズム運動の前史
 2 第二波フェミニズムの二つの流れ――リベラルかラディカルか
 3 家父長制の再発見と公私二元論批判
 4 家父長制批判に対する反論
 5 マルクス主義との対決

 

第2章 ケアの倫理とは何か――『もうひとつの声で』を読み直す
 1 女性学の広がり
 2 七〇年代のバックラッシュ
 3 ギリガン『もうひとつの声で――心理学の理論とケアの倫理』を読む

 

第3章 ケアの倫理の確立――フェミニストたちの探求
 1 『もうひとつの声で』はいかに読まれたのか
 2 ケアの倫理研究へ
 3 ケア「対」正義なのか?

 

第4章 ケアをするのは誰か――新しい人間像・社会観の模索
 1 オルタナティヴな正義論/道徳理論へ
 2 ケアとは何をすることなのか?――母性主義からの解放
 3 性的家族からの解放

 

第5章 誰も取り残されない社会へ――ケアから始めるオルタナティヴな政治思想
 1 新しい人間・社会・世界――依存と脆弱性/傷つけられやすさから始める倫理と政治
 2 ケアする民主主義――自己責任論との対決
 3 ケアする平和論――安全保障論との対決
 4 気候正義とケア――生産中心主義との対決

 

終 章 コロナ・パンデミックの後を生きる――ケアから始める民主主義
 1 コロナ・パンデミックという経験から――つながりあうケア
 2 ケアに満ちた民主主義へ――〈わたしたち〉への呼びかけ

 あとがき
 参考文献

 

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

本書を読んで、今まで個人的に一番誤解していたなと思ったのは、生産労働と再生産労働によって成り立つこの社会が生産至上主義となっており、そのうえで再生産労働が周縁化・不可視化されていることが批判されており、本来は両者は両輪のようなものなのだ、と捉えていたことです。この考え方だと、あくまで公私二元論の図式を前提としているところから抜け出せていないわけで、両者を統合したより新しい社会を構想するラディカルな思想が求められているのだと理解しました。また、私的領域が政治から切り離されて不可視化されていることが政治の帰結であるという批判も興味深かったです。

ギリガンの読み直しなども勉強になったのですが、特に印象に残ったのはマーサ・ファインマンの婚姻制度批判でした。母子関係よりも切れやすいと考えられる配偶者関係である婚姻(性愛関係)が、特権的な保護を受けることに対する批判はなるほどなと唸らされました。安全保障や気候変動とケアの関わりも面白く読みました。

自分の分野とのつながりでいえば、教育における能力主義(卓越性の追求)批判などにもケア倫理の視点は応用できそうだと思いました。能力や卓越を目指すのをやめようというよりかは、多元的な教育の目的論を築くのに役に立ちそうです。

ジェンダー論を全く知りませんという人にはちょっと難しいかもしれませんが、ケアの倫理について(本質主義的な誤解をすることなく)しっかり学びたいという方には強くおすすめします。

祐成保志・武田俊輔編『コミュニティの社会学』

週刊読書マラソン第16号は、祐成保志・武田俊輔編『コミュニティの社会学: Sociology of Community Life』(有斐閣、2023年)です。あまり読まないジャンルの社会学の本なので、それなりに読むのに時間がかかりました(当然のようにまた1週スキップ)。

 

 

本書の構成

序章 コミュニティへのまなざし(祐成保志・武田俊輔・渡邊隼)
第1部 つなぐ──コミュニティの枠組みと働き
 1 家なきコミュニティの可能性(植田今日子)
 2 危機に対応するネットワーク型コミュニティ(小山弘美)
 3 「職」「住」をシェアする──アクティビストたちの自治コミュニティを中心に(富永京子)
第2部 さかのぼる──コミュニティという概念の由来
 4 「想像の共同体」としての国民国家と地域社会(武田)
 5 コミュニティを組織する技術──都市計画とソーシャルワーク(祐成)
 6 共同の探求・地域の希求──戦後日本社会におけるコミュニティの需要/受容(渡邊)
第3部 つくる──コミュニティの生成と再生産
 7 “住民参加による環境保全”の構築──コモンズとしての生態系(藤田研二郎)
 8 居場所の条件──コモンズとしての住まい(祐成)
 9 更新されるコミュニティ──変化のなかでの伝統の継承(武田)
終章 コミュニティの動態を読み解くために(武田・祐成)

有斐閣より)

 

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

個人的に面白かったのは、1章、2章、3章、4章、7章、8章あたりでした。このうち、具体的に面白いなと思ったところをいくつかピックアップします。

1章は、家(ie)なきコミュニティとして、必ず通過する死という出来事によって、地域による弔いが継承されている様が描かれていました。そこで引用されていた民俗学者の坪井洋分の一生の円環図に興味を惹かれました。この円環図では、人の一生が「成人化過程」「成人期」「祖霊化過程」「祖霊期」に4分されており、死は人の一生の折り返し地点に過ぎないという捉え方がされていました。しばしば持ち出されるクリシェとして、人は二度死ぬ、一度目は肉体的に死んだときで、二度目はみんなに忘れられたとき……みたいなのがあったと思いますが、この後者こそが「先祖」になる過程として捉えられているのが個人的には面白かったです。

2章は、1章と異なり土着のコミュニティというよりも、災害といった共通の危機を経験することによって生じるコミュニティが取り上げられていました。最終節で、「共通の認識」は災害のような危機ばかりでなく、楽しい出来事の共有によってももたらされうるという示唆がなされていました。個人的には、今ドラマでやっている「VRおじさんの初恋」が思い浮かび、そういったVR空間での共通の経験みたいなものもまたコミュニティ形成の契機となりうるのだろうなどと考えました。ドラマでは、サービス終了が迫るVRゲームという設定でしたが、終わりゆく世界を一緒に楽しむというのも、一つの経験のあり方だよななどと思いを馳せました。

4章は、国民国家や地域社会の形成過程が詳しく見られてそれ自体面白かったのですが、とりわけ最後の柳田國男の問題提起が、生活綴方などと通じるようにも読めて印象に残りました。

7章の環境保全コミュニティでは、やはり「順応的ガバナンス」という考え方が参考になりました。医療や科学の知見が浸透する難しさはコロナ禍でも経験されたように思いますが、特に柔軟な目標設定の仕方などは示唆に富んでいます。

個人的に一番面白く読んだのは、8章の団地コミュニティでした。街の満足度が人間関係に左右される、つまりソーシャルキャピタルと深く関わっているという社会学の調査も興味深かったですが、何よりコモンズとしての協同組合の取り組みが、不動産の金融化への対抗実践として学ぶところが多かったです。日本も不動産価格が高騰し続けていますが、「持ち分」という考え方のもとで住む選択肢があってもよさそうです。

鈴木哲也・高瀬桃子『学術書を書く』

週刊読書マラソン第15号は、鈴木哲也・高瀬桃子『学術書を書く』(京都大学学術出版会、2015年)です。繁忙期にかまけていたら(?)、また1週空いてしまいました。

 

 

本書の構成

序 章 Publish or Perish からPublish and Perish の時代へ
— なぜ,学術書の書き方を身につけるのか

 

第I部 考える — 電子化時代に学術書を書くということ

第1章 知識か「情報」か — 電子化時代の「読者」と知のあり方

第2章 知の越境と身体化 — 学術書の今日的役割と要件

 

第Ⅱ部 書いてみる —魅力的な学術書の執筆技法

第3章 企画と編成 — 読者・テーマ・論述戦略

第4章 可読性を上げるための本文記述と見出しの留意点

第5章 多彩な要素で魅力的に演出する

 

第Ⅲ部 刊行する — サーキュレーションを高める工夫と制作の作法

第6章 タイトルと索引 — 冒頭と末尾に示すメッセージ

第7章 入稿と校正の作法 — 合理的な制作のために

 

おわりに — 学術書を「書く」ことと「読む」こと

京都大学学術出版会より抜粋)

 

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

学位論文を出し終えたのと、先日出版社の方とお話する機会があったので、本棚に積んだままになっていた本書を手に取ってみました。

第I部は主に、学術出版を取り巻く状況が書かれており、本書の一貫した主張である「二回り外、三回り外」の読者に対して学術書を書くことの重要性が述べられていました。個人的に新鮮だったのは、学術書は単に一般の人に分かりやすく砕いて書けばよいというものではないという話でした。あまり一般向けにしてしまうと、かえって想定読者がぼやけてしまうというのは自分にとっては盲点でした。

第II部以降は、具体的なノウハウのエッセンスが紹介されていました。これは今後学術書を書く機会があれば大いに参考にしたいところです。また、地味なようでいて、7章に書かれていた、出版は共同作業であるという話もかなり勉強になりました。たまに再校でどかっと修正してくる方とかいますもんね……他山の石としたいところです。