週刊読書マラソン

積読消化をめざすささやかな悪あがきの記録

高橋則夫『刑の重さは何で決まるのか』

なんとか隔週刊にしようとしている週刊読書マラソン第18号は、高橋則夫『刑の重さは何で決まるのか』(筑摩書房、2024年)です。

学部1年のとき、著者の刑法総論を取っていたので、軽妙な語り口に懐かしさを覚えながら読みました。

 

 

本書の構成

第1章 刑法学の世界(なぜルールが存在するのか
刑罰は何を目的としているのか
量刑に至る「長く曲がりくねった道」)
第2章 犯罪論の世界(犯罪とはどのような行為なのか
犯罪の成立はどのように判断するのか
犯罪の要件を吟味する
「わざと」と「うっかり」
犯罪が未完成のとき
犯罪に複数の者が関与するとき
犯罪が犯罪ではなくなるとき
犯罪の数の数え方)
第3章 処遇論の世界(刑法が前提にしている人間像
犯罪者の処遇を考える)
第4章 量刑論の世界(刑をどの程度に科すのかという問題
量刑は具体的にどのように判断するのか)
第5章 刑法学の新しい世界(「犯罪と刑罰」の新しい考え方
「責任」の新しい考え方 刑法学も変わっていく)

筑摩書房より)

 

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

全体としては、刑法学や刑法総論の入門書のような構成になっています(とりわけ2章のボリュームが大きいのもそういう印象に影響を与えているかもしれません)。私としては懐かしいな、そんなことを習ったなと思いながら楽しく読みました。

個人的に興味深く読んだのは、3章の処遇論と、5章の修復的司法や応答責任論でした。処遇論のなかでも拘禁刑創設の意義などは、今日的な話題でありながらもあまりきちんと知らなかったので、勉強になりました。

5章の修復的司法は、具体的存在としての被害者を想定した、加害者への損害回復の視点に唸らされました。応報論としての刑罰は、貫徹するとあまり生産的でないなあとかねてよりぼんやり思っていましたが、修復的司法はそこに少しずつ風穴をあけるものになりそうです。興味深いと思っただけに、正直ボリュームとしては物足りなさを感じたのですが、著者が別途修復的司法を論じた本を書いているようだったので、また手を伸ばそうと思います。応答責任論も、社会学などに馴染みのある身からすれば、うなずける問題提起だったのですが、筆者が他の学問分野から刑法学を逆照射しようと試みているところに敬服しました。

全体的に具体例が多く、わかりやすい新書なので、法学に興味のある高校生でも楽しく読めるのではないでしょうか。

 

岡野八代『ケアの倫理』

週刊読書マラソン第17号は、岡野八代『ケアの倫理―フェミニズムの政治思想』(岩波書店、2024年)です。明らかに週刊ではなくなってきましたが、月刊よりは更新頻度が高いので、まだ粘りたいと思います。

ケア倫理はちょうど一度きちんと勉強したいと思っていたので、この新書はまさに待ってましたという感じでした。新書ではありながら、かなり丁寧に書かれた重厚な著作です。

 

 

本書の構成

序 章 ケアの必要に溢れる社会で

 

第1章 ケアの倫理の原点へ
 1 第二波フェミニズム運動の前史
 2 第二波フェミニズムの二つの流れ――リベラルかラディカルか
 3 家父長制の再発見と公私二元論批判
 4 家父長制批判に対する反論
 5 マルクス主義との対決

 

第2章 ケアの倫理とは何か――『もうひとつの声で』を読み直す
 1 女性学の広がり
 2 七〇年代のバックラッシュ
 3 ギリガン『もうひとつの声で――心理学の理論とケアの倫理』を読む

 

第3章 ケアの倫理の確立――フェミニストたちの探求
 1 『もうひとつの声で』はいかに読まれたのか
 2 ケアの倫理研究へ
 3 ケア「対」正義なのか?

 

第4章 ケアをするのは誰か――新しい人間像・社会観の模索
 1 オルタナティヴな正義論/道徳理論へ
 2 ケアとは何をすることなのか?――母性主義からの解放
 3 性的家族からの解放

 

第5章 誰も取り残されない社会へ――ケアから始めるオルタナティヴな政治思想
 1 新しい人間・社会・世界――依存と脆弱性/傷つけられやすさから始める倫理と政治
 2 ケアする民主主義――自己責任論との対決
 3 ケアする平和論――安全保障論との対決
 4 気候正義とケア――生産中心主義との対決

 

終 章 コロナ・パンデミックの後を生きる――ケアから始める民主主義
 1 コロナ・パンデミックという経験から――つながりあうケア
 2 ケアに満ちた民主主義へ――〈わたしたち〉への呼びかけ

 あとがき
 参考文献

 

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

本書を読んで、今まで個人的に一番誤解していたなと思ったのは、生産労働と再生産労働によって成り立つこの社会が生産至上主義となっており、そのうえで再生産労働が周縁化・不可視化されていることが批判されており、本来は両者は両輪のようなものなのだ、と捉えていたことです。この考え方だと、あくまで公私二元論の図式を前提としているところから抜け出せていないわけで、両者を統合したより新しい社会を構想するラディカルな思想が求められているのだと理解しました。また、私的領域が政治から切り離されて不可視化されていることが政治の帰結であるという批判も興味深かったです。

ギリガンの読み直しなども勉強になったのですが、特に印象に残ったのはマーサ・ファインマンの婚姻制度批判でした。母子関係よりも切れやすいと考えられる配偶者関係である婚姻(性愛関係)が、特権的な保護を受けることに対する批判はなるほどなと唸らされました。安全保障や気候変動とケアの関わりも面白く読みました。

自分の分野とのつながりでいえば、教育における能力主義(卓越性の追求)批判などにもケア倫理の視点は応用できそうだと思いました。能力や卓越を目指すのをやめようというよりかは、多元的な教育の目的論を築くのに役に立ちそうです。

ジェンダー論を全く知りませんという人にはちょっと難しいかもしれませんが、ケアの倫理について(本質主義的な誤解をすることなく)しっかり学びたいという方には強くおすすめします。

祐成保志・武田俊輔編『コミュニティの社会学』

週刊読書マラソン第16号は、祐成保志・武田俊輔編『コミュニティの社会学: Sociology of Community Life』(有斐閣、2023年)です。あまり読まないジャンルの社会学の本なので、それなりに読むのに時間がかかりました(当然のようにまた1週スキップ)。

 

 

本書の構成

序章 コミュニティへのまなざし(祐成保志・武田俊輔・渡邊隼)
第1部 つなぐ──コミュニティの枠組みと働き
 1 家なきコミュニティの可能性(植田今日子)
 2 危機に対応するネットワーク型コミュニティ(小山弘美)
 3 「職」「住」をシェアする──アクティビストたちの自治コミュニティを中心に(富永京子)
第2部 さかのぼる──コミュニティという概念の由来
 4 「想像の共同体」としての国民国家と地域社会(武田)
 5 コミュニティを組織する技術──都市計画とソーシャルワーク(祐成)
 6 共同の探求・地域の希求──戦後日本社会におけるコミュニティの需要/受容(渡邊)
第3部 つくる──コミュニティの生成と再生産
 7 “住民参加による環境保全”の構築──コモンズとしての生態系(藤田研二郎)
 8 居場所の条件──コモンズとしての住まい(祐成)
 9 更新されるコミュニティ──変化のなかでの伝統の継承(武田)
終章 コミュニティの動態を読み解くために(武田・祐成)

有斐閣より)

 

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

個人的に面白かったのは、1章、2章、3章、4章、7章、8章あたりでした。このうち、具体的に面白いなと思ったところをいくつかピックアップします。

1章は、家(ie)なきコミュニティとして、必ず通過する死という出来事によって、地域による弔いが継承されている様が描かれていました。そこで引用されていた民俗学者の坪井洋分の一生の円環図に興味を惹かれました。この円環図では、人の一生が「成人化過程」「成人期」「祖霊化過程」「祖霊期」に4分されており、死は人の一生の折り返し地点に過ぎないという捉え方がされていました。しばしば持ち出されるクリシェとして、人は二度死ぬ、一度目は肉体的に死んだときで、二度目はみんなに忘れられたとき……みたいなのがあったと思いますが、この後者こそが「先祖」になる過程として捉えられているのが個人的には面白かったです。

2章は、1章と異なり土着のコミュニティというよりも、災害といった共通の危機を経験することによって生じるコミュニティが取り上げられていました。最終節で、「共通の認識」は災害のような危機ばかりでなく、楽しい出来事の共有によってももたらされうるという示唆がなされていました。個人的には、今ドラマでやっている「VRおじさんの初恋」が思い浮かび、そういったVR空間での共通の経験みたいなものもまたコミュニティ形成の契機となりうるのだろうなどと考えました。ドラマでは、サービス終了が迫るVRゲームという設定でしたが、終わりゆく世界を一緒に楽しむというのも、一つの経験のあり方だよななどと思いを馳せました。

4章は、国民国家や地域社会の形成過程が詳しく見られてそれ自体面白かったのですが、とりわけ最後の柳田國男の問題提起が、生活綴方などと通じるようにも読めて印象に残りました。

7章の環境保全コミュニティでは、やはり「順応的ガバナンス」という考え方が参考になりました。医療や科学の知見が浸透する難しさはコロナ禍でも経験されたように思いますが、特に柔軟な目標設定の仕方などは示唆に富んでいます。

個人的に一番面白く読んだのは、8章の団地コミュニティでした。街の満足度が人間関係に左右される、つまりソーシャルキャピタルと深く関わっているという社会学の調査も興味深かったですが、何よりコモンズとしての協同組合の取り組みが、不動産の金融化への対抗実践として学ぶところが多かったです。日本も不動産価格が高騰し続けていますが、「持ち分」という考え方のもとで住む選択肢があってもよさそうです。

鈴木哲也・高瀬桃子『学術書を書く』

週刊読書マラソン第15号は、鈴木哲也・高瀬桃子『学術書を書く』(京都大学学術出版会、2015年)です。繁忙期にかまけていたら(?)、また1週空いてしまいました。

 

 

本書の構成

序 章 Publish or Perish からPublish and Perish の時代へ
— なぜ,学術書の書き方を身につけるのか

 

第I部 考える — 電子化時代に学術書を書くということ

第1章 知識か「情報」か — 電子化時代の「読者」と知のあり方

第2章 知の越境と身体化 — 学術書の今日的役割と要件

 

第Ⅱ部 書いてみる —魅力的な学術書の執筆技法

第3章 企画と編成 — 読者・テーマ・論述戦略

第4章 可読性を上げるための本文記述と見出しの留意点

第5章 多彩な要素で魅力的に演出する

 

第Ⅲ部 刊行する — サーキュレーションを高める工夫と制作の作法

第6章 タイトルと索引 — 冒頭と末尾に示すメッセージ

第7章 入稿と校正の作法 — 合理的な制作のために

 

おわりに — 学術書を「書く」ことと「読む」こと

京都大学学術出版会より抜粋)

 

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

学位論文を出し終えたのと、先日出版社の方とお話する機会があったので、本棚に積んだままになっていた本書を手に取ってみました。

第I部は主に、学術出版を取り巻く状況が書かれており、本書の一貫した主張である「二回り外、三回り外」の読者に対して学術書を書くことの重要性が述べられていました。個人的に新鮮だったのは、学術書は単に一般の人に分かりやすく砕いて書けばよいというものではないという話でした。あまり一般向けにしてしまうと、かえって想定読者がぼやけてしまうというのは自分にとっては盲点でした。

第II部以降は、具体的なノウハウのエッセンスが紹介されていました。これは今後学術書を書く機会があれば大いに参考にしたいところです。また、地味なようでいて、7章に書かれていた、出版は共同作業であるという話もかなり勉強になりました。たまに再校でどかっと修正してくる方とかいますもんね……他山の石としたいところです。

 

 

 

藤間公太『代替養育の社会学』

週刊読書マラソン第14号は、藤間公太『代替養育の社会学―施設擁護から〈脱家族化〉を問う―』(晃洋書房、2017年)です。また1週空いてしまったので、某手帳よろしく「ほぼ週刊」などと名乗った方がよいかもしれません。

本書の著者とは面識はないものの、ちょっとしたご縁のある方ということもあり、興味深く読ませていただきました。

 

本書の構成

第1部 理論編―子育てをめぐる社会化言説と家庭化言説の併存(子育ての社会化論の問題構制―“支援”と“代替”をめぐって;家庭ロジックの支配性とその生成過程)


第2部 実証編―集団性の機能と退所をめぐる困難(施設養護のフィールド調査―児童自立支援施設Zに着目して;職員の集団性の効果;子どもの集団性の効果;退所をめぐる困難―家族再統合の諸相と自立規範の逆機能)


「住み込んでいること」の強み―小舎夫婦制施設でのインタビューから


結論と今後の課題

紀伊國屋書店より抜粋)

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

読後感としては、問題意識と主張が極めて明快でラディカルな博論本という印象を受けました。家庭で育つ子どもに対する「子どもを社会で育てる」ための「支援」と相反する、社会的養護の家族主義を問い直すという立場に立ちながら、施設養護での丹念な調査を踏まえて、代替養育が家庭養育と連続性をもちつつも、「代替」にとどまらず肩を並べるような〈脱家族化〉のヴィジョンを示しています。これだけの興味深い研究を4年で博士論文にまとめられていることに、頭が下がるばかりです。

施設養護の事例検討においては、職員の集団性と子どもの集団性がそれぞれもつ意義、そして退所をめぐる困難が示されていました。特に興味深かったのは、集団性と個別性が素朴に想定されるような二項対立的なものではなく、集団性が個別性の保障を可能にするという事例でした。これは、集団一斉授業の中で個が表出するという、佐藤学の授業研究でいうところのオーケストレーションみたいなものと通ずるものがあるように思いました。

また、家族の再統合が必ずしも家庭復帰オンリーではないという諸相を示している点も面白いです。こういった支援は現場の知恵的な戦略のなかで「距離化」を図るなどとして行われていることが示されていますが、そうした実践上の戦略から脱家族的なベクトルが導出されるというのはとてもわくわくしました(子どもみたいな感想)。確かにこうした子どもたちにも家庭復帰を促すことが、子どもの最善の利益になるとは限らないですよね。

他方で、最後まで難しいなと思ったのは「代替」の意味合い?でした。施設養護を始めとする代替養育を家族「支援」の延長線上に位置づけることで、家族を「格下げ」するという脱家族化の試みは面白いものの、等価といえるほどまでのオルタナティブになりうるのかを突き詰めて考えると難しいようにも思いました。本書が言うように、代替養育には集団性の強みがあり、家庭に寄せることを別に志向しなくてもよいのではないかという意味では、確かにオルタナティブたりえると思います。もっとも、施設養護に限らず非家族がケア圏・生活圏を担う養育の場が同等の選択肢になるのかと考えれば、そこまではならないだろうとも思ってしまいます。

私は教育でいうところの「多様な教育機会の確保」のイシューと重ねて考えたのですが、学校とは異なる学びの場が学校と同等の選択肢として選ぶことができる未来は、(もちろん質の担保を始めとする数々の論点はありますが)想像がつきます。それに対して、施設養護に限らず非家族がケア圏・生活圏を担う養育の場が同等の選択肢になるというのが、家族から子どもが生まれてくるという仕組みと、子どもの最善の利益を考えることが難しいせいもあるかもしれませんが、なかなかイメージがつきませんでした。また、代替養育のなかでも本書が焦点を当てていない、里親などの家庭的な養育をどのように擁護できるかという問題もあります。

本書が最後に提出しているケアの多元的モデルはとても示唆的で、オルタナティブの「どれか」を択一的に選ぶモデルを取らなくてもよさそうではあります。例えば米国のホームスクーリングでは学校に登校することを認めることもそれなりにあるようです(宮口誠矢さんの研究が詳しいです)。つまり、さまざまなケア主体となりうるアクターが子どもにかかわるという養育のあり方は展望できそうです。ただこの点も、現代の共働きの家族(やひとり親)の場合、短くない時間を保育園に預けるなど家族以外が子育てに関わることも決して珍しくない、とも考えることができます。本書の射程である社会的養護を離れたときに、家庭養育の側が現状でどの程度「家族主義」だといえるのか、「子育ての社会化」と代替養育はどのように結びつくのか/すれ違うのか、このあたりも色々と問いが広がりそうなように感じました。

まとまりがなくなりましたが、本書を読むなかで今まで家族社会学研究は全然目配せしてこなかったことを反省しました。考えてみれば、子どもの養育の問題はまぎれもなく教育なわけですから、(少なくとも教育学から見れば)隣接領域の一つといっても過言ではないようにも思います。本書の野心的な試みに胸を打たれるとともに、今後は家族社会学関係の積読もきちんと読み進めていきたいな……と思わされました。

岡真理『ガザとは何か』

週刊読書マラソン第13号は、岡真理『ガザとは何か―パレスチナを知るための緊急講義―』(大和書房、2023年)です。この週刊読書マラソンは、基本的には私自身の専門や仕事とは関係のない読書をするための一つのきっかけとしてやっているのですが、今回のこの本は、今こそすぐに読まないといけないのではないかと思って手に取りました。

 

 

岡先生の仕事のなかでは、かつてポストコロニアルの勉強を個人的にしていた際に『彼女の「正しい」名前とは何か』を読んだことがありました。本書は、岡先生なりの人文学のあり方を示したものとして、私の目に映りました。

 

本書の構成

■第1部 ガザとは何か

4つの要点/イスラエルによるジェノサイド/繰り返されるガザへの攻撃/イスラエルの情報戦/ガザとは何か/イスラエルはどう建国されたか/シオニズムの誕生/シオニズムは人気がなかった/なぜパレスチナだったのか/パレスチナの分割案/パレスチナを襲った民族浄化「ナクバ」/イスラエル国内での動き/ガザはどれほど人口過密か/ハマースの誕生/オスロ合意からの7年間/民主的選挙で勝利したハマース/抵抗権の行使としての攻撃/「封鎖」とはどういうことか/ガザで起きていること/生きながらの死/帰還の大行進/ガザで増加する自殺/「国際法を適用してくれるだけでいい」

■第2部 ガザ、人間の恥としての

今、目の前で起きている/何度も繰り返されてきた/忘却の集積の果てに/不均衡な攻撃/平和的デモへの攻撃/恥知らずの忘却/巨大な実験場/ガザの動物園/世界は何もしない/言葉とヒューマニティ/「憎しみの連鎖」で語ってはいけない/西岸で起きていること/10月7日の攻撃が意味するもの/明らかになってきた事実/問うべきは「イスラエルとは何か」/シオニズムパレスチナ分割案/イスラエルアパルトヘイト/人道問題ではなく、政治的問題 ■質疑応答 ガザに対して、今私たちができることは?/無関心な人にはどう働きかければいい?/パレスチナ問題をどう学んでいけばいい?/アメリカはなぜイスラエルを支援し続けるのか?/BDS運動とは何?

 

大和書房より抜粋)

 

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

中東問題についてはまったくの素人なので、むしろ新しく学んでいないことを探す方が難しい気もしますが、だいたい以下のようなところが特に印象に残りました。

まず、岡先生がどちらのパートでも繰り返し書いていたように、パレスチナの問題が人道的危機の問題ではなく、イスラエルパレスチナをめぐる政治的な問題であるということでした。外野(では決してなく、イスラエルに加担していることからは逃れられないのですが)の我々からすると、どうしても日々のニュースの中でのガザの惨状ばかりが目についてしまいますが、歴史的経緯から現在起こっている問題を捉えること、例えば根本的な問題としてのイスラエルによるガザ封鎖を批判しなくてはならないことを学びました。

また、ガザの動物園の話は、ガザの中でも豊かな子ども時代をなるべく送らせようとする大人の存在に心を打たれました。他方で、その結末にも心を痛めました。

そして冒頭に述べたことですが、岡先生の人文学者としてのスタンスが窺えました。他者の人間性の否定こそがヒューマニティの喪失なのだ、という立場は、まさに自分に突き刺さるものでした。その意味で、国内のさまざまな差別問題に対して、「私たちが私たちの闘いをしっかり闘うこと」も大切ですし、差別として可視化されていないが、理解が難しいとされる他者について、理解しようとする努力を放棄しようとしないことが人文学的なあり方なのだなと思わされました。

本書を通読してなお、私が理解が難しいなと思ったのは、イスラエルの人々の立場です。イスラエル国際法違反は当然法的に裁かれるべきものですが、このような蛮行に至るまでの歴史的経緯のなかには、祖国が生まれたときから当たり前にあり、ある意味で自らの居場所を問う必然性のない「日本に住む日本人」である自分の想像を絶する部分があるのではないかと考えました。もちろん現代はグローバル社会だとか、地球市民だとか言うこともできますし、祖国がなくともユダヤ教を信じる共同体なのだというアイデンティティもあり得るのかもしれませんが、選択肢があるなかでそれを選び取ることと、その選択肢しか残されていないことの間には大きな違いがあるように思います。

こうした状況や歴史的経緯にもかかわらず、イスラエルを非難する勇気をもつ世界各地のユダヤ人の勇敢さには目を瞠るものがありますし、イスラエルにいる人々が公然とそれを批判することの難しさも無視しづらいように思いました。歴史的な遠因を考えれば、ヨーロッパがきちんと引き受けていかねばならないはずなのですが。

本書中にあった「地獄とは、人々が苦しんでいるところのことではない。人が苦しんでいるのを誰も見ようとしないところのことだ」という言葉を胸に刻みつつ、今後は自分にできるささやかな意見表明をしていきたいと思います。

 

筒井淳也『未婚と少子化』

学位論文提出のためさすがに更新できず、2週間休刊しておりました。気を取り直して週刊読書マラソン第12号は、筒井淳也『未婚と少子化―この国で子どもを産みにくい理由―』(PHP研究所、2023年)です。

 

 

筒井先生はこの分野で有名な方だということは存じ上げていましたが、これまで買ったご著書は本棚に眠ったままになっており、とりあえず最新作から読んでみることにしました(怠惰)

 

本書の構成

はじめに

第1章 少子化の何が問題か

第2章 何が出生率の低下をもたらしたのか

第3章 少子化問題自治

第4章 グローバルな問題としての少子化

第5章 少子化に関わる政策と数字の見方

おわりに

新書マップより抜粋)

 

本書の面白かったところ、新しく学んだところ

少子化についてまったくの素人なので、勉強になったところは多かったです。少子化対策子育て支援ではない、また晩婚化・未婚化の影響が大きい、あたりは聞いたことがありましたが、出生率上昇でさえも少子化対策としては優先順位が必ずしも高くない、ということは目から鱗でした。また、婚外出生率の高さもあくまで結果論というのも、それはそうだなあという感じでした。

この本の落としどころとして、少子化は複合的な現象であるうえ、その解決がすんなり進んだ国は存在しないことから、安定した雇用の供給や共働きが可能な働き方へのシフトを始めとした総合的な政策が求められる(が、政治家にとっては実績が見えづらくやりづらい)ということが述べられていました。他方で、アプローチも多様であることながら、ちょうど本書が冒頭で述べていたような「どういう国をつくりたいのか」という目標論は、確かに4〜5章でふれられていたのかなとは思いつつ、もう少しそのバリエーションが検討されてもよかったようにも思いました。例えば、イスラエルやフランスのような少子化対策は、それ相応の文脈があることがわかりましたが、日本ではどういうシナリオがありえるのだろう、というのが気になった感じです。